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千切屋の2階建ての寮の裏庭にあり、誰もが参拝できるように中央に通路が設けられこの細い通路を入ってゆくと高さ1.8m程もある赤茶けた大岩がどっしりと構えています。これが岩神です。明治時代以前はこの地に岩上神社があり、岩神はその御神体となっていました。岩神は、はじめ二条通り猪熊辺りにあった嵯峨天皇の後院冷泉院の鎮守社にありました。この社は、慶長7年(1602)徳川家康が二条城を造築するために中京区岩上通リ角下ルにある中山忠親邸(鎌倉時代の内大臣)の跡地に移転させられましたが、大岩だけは大き過ぎて移動させるわけにはゆかず、旧地に留め置くことにしたといいます。
その後、後水尾天皇女御の中和院の御所に運ばれ、池の畔にすえられましたが怪奇な出来事が何度も続くので、不気味に思って北御門の外に出しておきました。今度は、毎夜の毎く禿童に化けてウロウロ歩き回る始末です。そこで、御所に出入をしていた真言宗の蓮乗院という僧が寛永7年(1630)にもらいうけて現在地に祀り、それからは、この大岩の怪異な出来事は収まったのだといいます。そしていつの間にかこの大岩に祈願すれば乳の出が良くなるという信仰が生まれ、有乳山岩神寺として岩上神社の社僧が住むようになります。享保15年(1730)の大火事(西陣焼け)、天明8年(1788)の大火事(天明の大火)にあい寺は荒廃し、明治時代になると岩神だけが残りました。
余談ですが、この辺りは藤原時平の屋敷跡といわれ、北野天満宮に参詣する人は、この辺りを避けて通るのだといいます。時平は、菅原道真を陥れ、左遷に追いやったとされることから道真の怨霊の祟りに遇ったといわれています。とくに雷雨の日は、御用心。くわばら!くわばら! |