|
畜生塚(悪逆塚)は現存しません。何故かといいますと鴨川が氾濫した折に破壊流失したからです。しかし、その跡と思しき場所に豪商の角倉了以が秀次の菩提を弔うために立空桂叔を開山として瑞泉寺を建て、その境内に墓を造立しました。『瑞泉寺縁起』には、角倉了以がこの地を入手したとき、土中から秀次悪逆塚を刻んだ墓(?)が出て来たので、寺を建て秀次の戒名瑞泉院から採って寺名とし墓を造ったとあります。この瑞泉寺と秀次の墓でしたら中京区三条通木屋町下ル東側にあります。
畜生塚について説明しておきます。瑞泉寺のあるあたりは、文禄4年(1595)秀次の子や妻・妾ら30数名の人々が、据えられた秀次の首の前で次々と処刑され、その死骸は、秀次の首とともに埋められ、この塚を畜生塚とも秀次悪逆塚とも呼ばれました。
因に、秀次の墓と母の日秀の墓は、京都の史跡を訪ねる会事務所より歩いて5分程の善正寺というお寺にあります。善正寺は、右京区嵯峨の亀山に創建されましたが、慶長5年(1600)に、左京区岡崎東福ノ川町に移転しました。日秀は、殺されてなおかつ“悪逆”とか“畜生”の汚名を着せられた我子秀次の恥辱を何とか晴らしたいという強い思いから“善正”という名の寺を建てたという気がします。もう一つ日秀が秀次の菩提を弔うために建てた瑞龍寺が上京区の堀川通に面した堅門前町にありましたが、天明の大火の折に焼失し、のち再建されました。しかし、明治のはじめの頃には寺運おとろえ、昭和の中頃に近江八幡市に移転しました。
解答者:加納 進
■京都に関するあなたのギモン、受け付けています!kyotokawaraban@yk.boo.jpまでどうぞ。 |