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東山区今熊野椥ノ森町にあります。平安時代中期の永延2年(988年)、右大臣藤原為光が建てた法住寺の跡地に、後白河上皇は、永暦元年(1160年)御所法住寺殿を営みました。北は、七条。南は、泉涌寺道。東は、東山の麓。西は、大和大路あたりの東大路七条を中心に南北約1キロメートル。東西約500メートルといわれています。
この法住寺殿は、寿永二年(1183年)木曽義仲に急襲され、蓮華王院(三十三間堂)を残して焼失しました。
※ 現在の三十三間堂は、文久三年(1266年)に再建された建物です。
新熊野神社は、後白河院の御所法住寺殿にあった熊野紀州から勧請した同所の鎮守社で、平清盛が建立したと伝えられています。
のち、室町時代に三代将軍足利義満が当処ではじめて観阿弥・世阿弥父子の能を観賞したといわれます。応仁の乱で荒廃し、その後、江戸時代の寛文六年(1666年)後水尾上皇の中宮東福門院が再建、現在の本殿(入母屋造)は、そのころの建物です。境内東南にある楠は、創建当時のものといわれています。
写真:上)新熊野神社
下)楠(新熊野神社)
解答者:加納 進
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