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石川五右衛門は、実在の人物です。安土・桃山時代の人で、この時代の公卿山科言継の日記『言継卿記』文禄三年(1594)八月二十四日の条に「盗人スリ十人、又一人は釜にて煮らる。同類十九人は、はりつけにかかる。三条橋間の川原にて成敗なり、貴賤群集なり……」とあります。
豊臣秀吉は、前田玄以に命じ、京に横行する盗賊らを捕縛させ、三条河原において石川五右衛門とその子一郎を釜煮の刑に、母親や同類19人を磔(はりつけ)の刑に処しました。石川五右衛門は、息絶えるまでわが子一郎を両手で高くかかげていたといいます。
没年37歳。
東九条柳下町にある陶化橋上流のあたりを“釜ヶ淵”と呼んでいますが、石川五右衛門の処刑に使われた釜が流れついたことによると伝えられます。
寛政11年(1799)刊行の『奇遊談』「釜ケ淵角石」では、「七条河原ノ下ヲ釜ケ淵トイフ。石川五右衛門ノ俗説アル所ナリ。今ハ淵トイフベキ地モナシ、サレド東ノ岸ハ高クシテ、水ノ行アタル所ナレバ、折ニハ淵トモナルベシ。ココニカギリテ細ク長キ角ナル石多シ。茶室ナドノカツラ石ニハ、カナラズ此所ノ石ナラデハ揃ヒガタシ。コレモ又、オナジカモ川ノ中ナレドモ、土地ノ産物ナルコトゾカシ。」とあります。
写真:上)三条河原 三条大橋を望む
下)釜ヶ淵 陶化橋より
解答者:加納 進
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