木島坐天照御魂神社(このしまにいますあまてるみたまじんじゃ)について教えてください。

『続日本紀』、大宝元年(701年)に、この社の名が見え、奈良時代を下らない時期または、それ以前の創祀であることがうかがえます。

一般に、蚕の社(かいこのやしろ)と呼ばれるのは、摂社(末社より格式が上位)の蚕養社(養蚕社とも表記)が祀られていることに因みます。木花開耶姫命(このはなさくやひめのみこと)・保食神(うけもちのかみ)を合祀しています。平安時代には、『三代実録』元慶元年(877)六月の条に、賀茂御祖神社(かもみおやじんじゃ)や石清水八幡宮(いわしみずはちまんぐう)などと共に、降雨祈願が行われたことを記しています。

鎌倉時代−承久の乱のおり、後鳥羽上皇方の三浦胤義(みよしたねよし)・重連(しげむら)の父子が、この木島の地に逃げ込み、敵にとり囲まれたため、社の中に一時隠れたが、前途を悲観して、父子とも自害して果て、郎従が社に火を放ったことが『承久記』『吾妻鏡』承久三年六月十五日の条に記されています。

 

・木島坐天照御魂神社の三柱鳥居
一説に、秦氏に由縁の松尾山(松尾大社−秦忌寸都理)・稲荷山(伏見稲荷大社−秦伊呂具)・双ヶ丘(秦氏のものと見られる古墳群)の三方の遥拝所であるとも、また松尾山に対峙して、比叡山の四明ヶ岳が、松尾山と同じ大山咋神を祀っており、稲荷山に対して愛宕山を拝することができるというもの。
糺ノ森・池を元糺ノの池というのは、賀茂社の“糺ノ森”の前身をうかがわせます。
「朝日が直刺(たださ)す」からという説や、川に挟まれた三角州の「只州」であるという説があります。

※ 現在の鳥居は、江戸期の享保年間に修復されたものです。

写真:上)木島坐天照御魂神社(右京区)
   中)元糺ノ池(木島坐天照御魂神社)
   下)三桂鳥居(木島坐天照御魂神社)
解答者:加納 進

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