夢の浮橋(ゆめのうきはし)という優雅な名称の橋があったそうですが、どこにあったのでしょうか。また、何故そのような名称がつけられたのでしょうか。

夢の浮橋は、京都市内に2ヶ所あったことがわかっています。
一つは東山区泉涌寺五葉ノ辻町にありました。橋跡は、塩小路本町より泉涌寺へ行く途中の一橋小学校の南側で、十字路の東南角に泉涌寺の僧、道円の詠んだ歌を大振りの自然石に陰刻した石碑が据えられています。

「ことはりや 夢の浮橋心して 還らぬ御幸 志ばし止めむ」

とあります。
往時、北より南流する一ノ橋川(今熊野川)が流れていて、ここに長さ四間(約7.3m)巾二間一尺の“夢の浮橋”(別名:大路橋・落橋)が架かりました。鎌倉時代の仁治3年(1242)、四条天皇が没すると東山泉涌寺の寺内に埋葬し、御陵月輪陵を築造して以来、同寺が香華院(こうげいん)としての性格をもつようになります。以来、幾多の葬送の列がこの橋を渡りました。のちには、あの世へ通じる橋は使わない方がよいと考えられたためか、橋がいたんでも改修されず、そのことから落橋とも呼ばれました。

もう一つの夢の浮橋は、上京区干本通鞍馬ロのあたりに架かっていたと伝えられています。昔、廬山寺渠という川が船岡山の付近からと思われますが、南に向って流れていて、現在の干本通五辻を少し上ったところで滝(鼓の滝)となって落ち、このあたりから東に向って堀川へとそそいでいたといいます。

夢の浮橋のあったあたりは、東山区の方は、鳥辺野葬場。上京区の方は、蓮台野葬場の入ロ付近と考えられ、この2つの夢の浮橋は、葬場への掛橋という共通性をもっています。永いようで短かく、しかも夢のごとく儚ない人の一生を水面に浮かぶ浮橋にたとえ、夢の浮橋と名づけられたものと思われます。

『源氏物語』の「宇治十帖」に夢の浮橋があります。…尼となった浮舟。薫の複雑な心情の悲哀を描いています。……

写真:夢の浮橋跡(東山区)
解答者:加納 進

■京都に関するあなたのギモン、受け付けています!kyotokawaraban@yk.boo.jpまでどうぞ。

もどる